10月6日

高校で一番可愛かったあの子のインスタライブを見て死ぬ

 

可愛くて、何もかも違った。私とは何もかも。

液晶に映る可愛い顔と、その横の友達、着てる服、髪の色、部屋に置いてあるもの。隅から隅まで刮目した。ひとつも見落としたくなかった。

 

いつも憧れで、いつも私の先を行ってて。私の感性は彼女に磨かれたと行っても過言じゃなかった。あの子が着る服は、読む本は、漫画は、音楽は、全部綺麗だった。全部知らなくて、全部おしゃれで、見るたびに自分と比べて劣等感で一度死んだ。

 

インスタを閉じて、天井を見たら、あまりにも部屋が狭くて。雑多にダサい服が吊るされていて、もので溢れかえる狭い空間に、母と川の字で横になっている私が、

また、死んだ。

今日も余生を生きている。恥ずかしい、こうしている自分にも、いや自分が。

 

変わりたい、羨ましい、手を伸ばせば届きそう、と思うから、人は悲しいのだ。手を伸ばせば届きそう、がポイントで。

明らかに届かなそうな才能に、人は妬みを感じない。ただ、死にたくなるだけ。

うまく言語化できない馬鹿は、羨ましいと言うだろうが。それは羨ましいじゃない。死にたいなんだよ。と教えてやりたい。

 

私はまだ、羨ましい。羨ましいと、死にたいが一緒に来る感じ。

もう少しだけ、生きたい、のか、?